
毎年、この連休期間はだいたい田植えと決まっている
私は妻の実家の手伝いなので、農業といっても田植えや稲刈りくらいなのだが、そうはいっても近年の農業政策のなかで地域の担い手となっている農家なので3町歩を超えるくらいの田んぼを管理する。
今日は午前中に3反ほどを植えて連休中の作業は終わり。
終わり間際にぽつりぽつりと雨が落ちてきた。どうやらびしょ濡れにならずに済みそうだ。田んぼにぽつりと落ちる雨が波紋になってなかなか風流だ。
と、よそ見をしていると田植機がすぐあちこち曲がってしまう。
田植機の運転は、きれいな舗装された道路を走る自動車の運転よりよほど難しい。田んぼのなかは思いのほかデコボコで、水が多いところや少ないところ、雨蛙に見とれたりもする。水面が反射して見辛かったりもする。
そんなわけで、植え筋がまっすぐ綺麗になるようにするにはけっこう神経を使う。
運転しながら、苗が少なくなれば継ぎ足し、肥やしが減ればブザーで催促され、機械にこき使われるわけだ。
今日は連休中ということもあって、義父母のほかに我が家の末っ子がアシストをしてくれた。田植機を運転してるより、苗箱や肥やしの袋を運ぶ、けっこうな重労働だ。
末っ子は、じじばばっ子で、小学校のころから学校から帰ると我が家よりも妻の実家に帰ることのほうが多かったくらいで、祖父母の仕事をよく見てるし、手伝いも良くする。大きくなるとこれがなかなかの戦力だ。
近くの比較的大きな農家に仲良しの同級生がいて、うちの子と二人を田んぼでよく見かける。この子ら成長していくまで地域農業は維持できるだろうか。
特に、米作りは、生活を成り立たせる職業としてはできなくなっていて、機械の維持を含めて自腹を切りながら、半ば趣味を交えながら、農家の意地で維持されている。
私は自分の実家も農家だった。
それほど農作業は好きでは無かったが、少ない耕地を親族が総出で田植えや稲刈りをした記憶もある。私の世代ではほぼ失われた経験、光景だったし、今思えば貴重な経験だった。
農家の長男にも関わらず、田舎から離れて出てきたのに、出先で農業をしているのはなかなか皮肉なことだ。故郷への贖罪の気持ちをほんの少し抱えながら、農作業を手伝っている。
このご時世、田んぼの真ん中でひとり田植機に乗ってるので、マスクは必要ない。
久しぶりに、体いっぱいに大気を吸って、気持ち良い時間を過ごした。